震災が起きてからずっと前にも後ろにも行き場のないような日々をすごしてきた。 気分転換しようとしても、仕事に入れ込もうとしてもだめだった。 そこから一歩進むためには、被災地である故郷仙台へ帰ることしか道がないことはわかってた。 いつもあっというまに新幹線で行くことが出来た仙台へは緊急便のバスでの長い道のりになった。 片道5時間半の道のり、家族や友達のことを想うと胸がいっぱいでどきどきした。 福島あたりからの景色はいつにもまして美しく感じた。と同時に、そこに住む人たちの姿はせつなかった。 長い高速をぬけて仙台の街へでると、見慣れた風景に涙がでた。 わずか一ヶ月が永遠に感じた。やっと帰って来れた。 オズの魔法使いにでてくる台詞『THERE IS NO PLACE LIKE HOME』という言葉が頭にうかんだ。 仙台に到着して、すぐ実家のお店へいくと両親がいつもどおりの仕事をしている。 なにも変わらないような珈琲の香。ガスはまだだというが、いつもどおりの景色に笑顔だけが溢れた。 コーヒーをいつものように飲んでホッとしてから、つぎの道へむかった。 宮城県でもっとも被害のおおきかった場所のひとつである名取。 2月に公演を行った名取文化会館が、避難所となっているということで東京であつめた支援物資をもって向かった。 避難所には約400人のかたが避難しているという。顔なじみの会館の方と久しぶりに会い無事でよかったと安心したところで避難所になっているロビーへと通された。 言葉がでなかった。 今でもどう言っていいのかわからない。 テレビでは見ていたが、その場で見る状況、ひとの表情にはなにも言葉もでなかった。 両手にもっている物資など、まったく足りない。 「食料は足りているが、生活の質の向上はまだまだなんです。」と会館の方がおっしゃていた。 ダンボールのみで仕切られている、スペースに所狭しとならぶひとの数におどろいてしまった。 子どもたちは外で無邪気に遊んでいた。その子たちにシャボン玉やら遊ぶ道具をあげると、あっというまにもって走っていた。 ウッドデッキの外でタップを踊ると、こどもたちが不思議そうに遠くから眺めてた。 おじいちゃんやおばあちゃんが館内から集まってきたので、すこし踊った。 みんな手を叩いて喜んでくれたけど、なにか自分は複雑な気持ちだった。 ひとりの女性のかたが僕のところへきてくれた。 2月の公演を観た友人から、タップの話を聞いてとてもみたいとおもっていたというのだが、 残念ながらその友人は津波で亡くなってしまったという。 だからこうして今日タップがみれるなんて、、と声をつまらせた。 ぼくらは帰り道、会館の方に沿岸部を通ることをすすめられた。 この土地の惨状を決して忘れないように、野次馬的なことではなく現実をみてほしいということだった。 閖上という海岸はぼくにとって子どものころの夏の遊び場だった。 夏休みの入道雲のさきにみえた、海水浴場。 いまはどこまでいってもつづく瓦礫だけの道。 その道に陽がおちていく風景はこの先ぜったいに忘れないだろう。 ここでの景色、そして風の音、そらをとぶカラスの鳴き声、潮の匂い、 すべてをきっとわすれない。 わすれてはいけない。 これからずっと支援しつづけます。 まだまだ復興はこれからです。 TAP THE FUTURE義援金PROJECT "HAND TO HAND FEET TO FEET" http://www.kaz-tapstudio.com/cn12/hthftf.html
by kazthehoofer77
| 2011-04-13 03:37
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