![]() タップの板の前であしもとをじっくり見ている子供達。 さいしょはおとなしく見ているが、しばらくたつと板の上にのっかってみんな真似しはじめる。外で踊ったときは、子供が集まりすぎて大変なことになった。 ゴレの島ではたくさんの子供達がほんとうに自由に走り回っている。 そこには子供達の自由さを制御するものがなにもない。 自然のなかで走り回る子供達の笑顔はとても無邪気。 『自由』といっても僕が驚いたのは、島の子供達がしっかりとした教育と規律の上で『自由に』羽ばたいているということだ。 大人の人達は子供達に家事をやらせたり、赤ちゃんの世話をさせたりと子供は家族の中でしっかりと役割をもっている。だから子供だからといって甘やかされるということは全くなく、しっかりと働いて、それから土まみれになって思いっきり遊んでる。 だからみんな知恵もあって、本当にかわいかった。 ![]() 一緒にほぼ生活をともにしたイヴくんは、ちょっと遠い僕が泊まっている場所へ走ってご飯を運んでくれたり、炊事、家事なんでもやる。学校もしっかり行って終わるとサッカーをやったりして遊ぶ。僕もひさしぶりに思いっきり遊んだ! 日本の子供達はたくさんの物をもっている。何不自由なく育ち、自分自身も何不自由なくぬくぬくと育ったとおもう。将来のために塾にいったりコンピュータをしたりする。 セネガルの子供達は、物が少ない不自由さを不自由とは感じてはいないとおもう。 無駄な情報がとても少ないんだなあ。ととにかくおもった。 この島に滞在しているあいだ、本当に最小限の情報だけを耳にした。携帯もない、PCもない生活。 本当に必要なものはとても少ないし、本当に価値のある物はわずかしかない。 太陽と水と。 おいしいご飯とやさしさと。 本当に美しい日の出を見て感動したのはいつ以来か。流れ星を1日に何回もみたのは? たいせつな自然がここにはあった。 そして子供達の笑顔。 きっと昔の日本もそうだったはず。すくない情報、貧しさのなかにある心の豊かさ。 ぼくらはきっとなにかを得て、そのためになにかを失ってしまったような気がする。 守り続けよう。 つづく。 ![]() ![]() ![]() ![]() 彼らにとって音楽と踊りは生活そのものだった。 朝10時すぎると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくる。ひとりが太鼓をたたくと、つぎつぎと人が集まってくる。そしてそれに合わせて踊りをおどる。踊りはおもに女性が踊り、太鼓は男性が叩いていた。 昼になるとご飯を食べて、1時には店も全部閉まり、すべての人達がお休みをして精神も休ませ、悪い精神を出す、という習慣らしい。 この時間は太陽の日差しも強すぎて、あまりみんな歩かずに日陰でゆっくりしている。 日が落ちてくると、練習場へ行きまた楽器を持ち、太鼓を鳴らしはじめる。 この時間は伝統的な曲をみんなが練習したり、踊りもしっかり太鼓にあわせて踊る。 海に日が沈むのを眺めながら、みんなが解放的に音を鳴らし、歌をうたう姿は夢を見ているかのような光景だった。昔から、何も変わらず太鼓を叩き、踊り、時代も全く変わっていないようなそんな光景。 ![]() ダンサーは裸足で地面を強く踏みしめるような踊り。 「シューズもなにもいらない。この身体さえあれば」と言っているかのように、身体のすべてがリズムにのって本能が踊っている。そんなダンスだった。 あまりの迫力に圧倒された。 彼らにとって踊ることや音楽を奏でることは、エンターテイメントやショービジネスのように誰かのために見せるためのものではない。毎日の生活の一部であり、そしてまた誰かのために捧げるためのものであって、それはとても崇高なものに思えた。 アフリカの音楽やダンスは、一般的に野蛮的な印象を持たれる。 僕は、このアフリカの地に来て、この音楽がいかに知的で伝統豊かなものであるかを、体中で感じた。NYのカーネギーホールでみたベルリンフィルの音楽も、この大西洋に沈む夕日と、ヤギのいる練習場で聴くセネガルの音楽も同じ感動を与える崇高な音楽だった。 僕はこの価値をどうにかして、あらゆる人達に伝えたいと思った。 そして島の人に、ヤギが囲われているところの板を指差し、「こんなような板がほしい」と言って。なんとか現地で板を作ることができた。 ゴレ島初のタップ板制作。 毎日、毎日、日が暮れるまで、踊りを踊れることの幸せ。この島は音楽の楽園。 日が暮れるとお祈りの時間のために、みんな静かにする。 毎日は音楽とともに過ぎていった。 つづく。 ![]() ![]()
朝方、みんながお腹が空いたといって、ご飯を食べに行くと言う。
タクシーに乗って行くと、ヤギが繋がれた小屋のようなお店の中へ。 薄暗いお店の中はお香の香りがすごい。 ひとつのお皿に羊の肉が大量にのって運ばれて来た。みんなはその肉を手でちぎって食べる。ソースも手でつける。郷に入っては郷に従う、僕もおそるおそる食べてみると、香辛料が効いていてうまい! セネガルで食べたはじめての食事はここだった。セネガルでは基本的にひとつのお皿をみんなで囲んで食べる。スプーンを使うこともあるが、手で食べるのは普通のことだ。 このあと、ずっと仲間とひとつの皿を囲む生活が続いたが、この感じは一体感があってとてもいいと思った。同じ釜の飯を食うとはよく言ったものだ。 食べ終わってついにフェリーに乗る。まだ薄暗い中、島へと向かった。 真っ暗な海の上に満天の星が光っていた。 そして、朝に見たゴレ島の光景は本当に美しくて、まるで夢のようだった。子供の頃に憧れた宝の島のような感じ。とにかく色が美しい。 ![]() ![]() しかしながら、この島にはひとつの大きな闇を抱えている。 この島はその昔は、奴隷の貿易港として使われた。奴隷が捕まっていた場所や、戦争のときにつかわれた大砲などはそのままに残っている。 アフリカを象徴する赤、黄色、緑の配色(ラスタカラーとして知られる)赤は、このときに流したたくさんの血の色を表している。 ここに来てはじめて、その意味を実感した。 今でも、貧富の差はとても大きいようだ。足のない物乞いがずるずると身体をひきづって這いつくばっていた。ラティールに聞くと、ポリオなどの病気と医療不足のためたくさんの人が、ひどい状態のまま放置されていると言っていた。その光景は楽園のような海と空と、大きなギャップがある。 この国の光と闇の大きな違いを滞在中に身体に感じた。 そして、僕がこの地にやってきた大きな目的は、その奴隷制でアメリカやヨーロッパへ連れて来られて、継承されて来たとされるリズムの言語を体験することだった。 ずっとこの場所にくるべきだと思っていた。タップダンスのルーツ、リズムのルーツを感じるために。 この地で、実際に地面を踏みしめ、今までやってきた自分のタップダンスというアートの意味をもっと深く確認したかった。 そしてそのためにまずやるべきことは、9万円かかると言われここで持ってくることができなかった『どこでもタップ君』のアフリカバージョンをこの地で作ることだ。 まず板探しからはじまった。。 つづく。 ![]() ![]() 奴隷制についてはこのHPをご覧ください http://kunta.nomaki.jp/
日本の空港で持っていこうとした「どこでもタップ君」(折りたたみ式タップ板)がオーバーチャージで9万円かかると言われ、泣く泣く東京に送り返しバタバタで乗り場まで走らされた。そのおかげで、空港で買おうと思っていた虫除けスプレーやらのグッズなどなどは買う時間もなく、いきなりこれからイタリアまでノンストップの飛行機の中に飛び乗った。これがのちのち大変なことに。。。
飛行機に乗ると、これからアフリカに行くという実感がでてきて不安になった。。 とりあえず12時間、その後イタリアで乗り換え、5時間。 イタリアの空港でセネガルに帰るアフリカ人のバスとその息子、3歳のオスマンに会った。バスはラティールの従兄弟なのだが、本当にお世話になった。 イタリアの空港で3歳のオスマンがなんかやらかした時に、バスが『おまえ欧米か!』と言ったのに笑った。アフリカ人なのに。。 そのごセネガルでもオスマンは『欧米か!』を連発してました。アフリカなのに。。 ![]() そんなこんなで癒されながら。 セネガル行きの飛行機へ。 これがちっちゃい飛行機、しかもほとんどの乗客は現地人らしき人達。 飛行機の中ではほとんどサービスなし。水も自分でとりにいく感じ。。どんどん不安に。。 やっとのことでセネガルに着くと、まったく今までとは違う雰囲気。まずはハエと蚊の数に洗礼をうける。 荷物を取りにいくところで、バスが「カートを取りに行ってくる」といなくなった。 近くにいた車いすに乗った老人にバスが二人を見ていてくれ、と言ったようだが、こっから言葉が全くわからない。しばらく経ってもバスが現れず、不安になったところで、オスマンが「パパを捜しにいく」と言い出したけど、こいつを離してはいけないと思い、必死でオスマンをなだめながら自分も落ち着かせていました。 そのあいだに手を蚊に刺されたらしく、痛い。赤くはれていて、若干パニックに。 しかしそうこうしているうちにバスが戻って来てホッとして入国審査のところにいくと人の群れ。しかし、バスがうまいこと話してくれて、なんとすんなりと入国できたのでした。。。 空港からでると、柵が20mほど離れたところにあり、そこには2〜300人ぐらいの人の群れが、僕らを待ち受けている。。 このときの光景の衝撃は忘れられない。 観光客にたかるために人が待っている。バス達がその群れの中に入って行く。 僕もしっかりとついていくが、柵を越えると10人ぐらいの人が僕の荷物を持とうとする。しかも解らない言葉の連発と混乱。腕が片方ない人やら、たくさんの人、人、人。。。 そこから『カズ!』とラティールが現れて、僕の荷物を持ってくれた。 助かった! とりあえずラティールにつかまり、タクシーの方へ。 タクシーに乗るまでが大混乱。僕は一人タクシーの中で待たされるが、窓が壊れて閉まらない。人がどんどん話しかけてくる。まるでホラー映画。 ラティールがやっとタクシーに乗ってきて『おつかれ!』と一言。 そして、『これから朝のフェリーまで時間つぶすから』『!!』 やっとついたのは深夜一時。全く知らない土地セネガル。 タクシーの窓は閉まらず、ものすごい砂埃。口を服の袖でおさえながら、時間つぶしについたのはダンスクラブ。ギンギンのクラブで朝まで踊り、ここから旅がはじまった。 つづく。
![]() セネガルのゴレ島から今日、無事に日本に着きました。 昨日の夜に島のフェリーに一人で乗って、みんなとお別れをしてきたのですが、なんだか昨日までのアフリカの光景や音や、匂いが幻想だったような、不思議な気分になっています。 セネガルの空港では職員に脅され、イタリアの空港に着いたときに、あまりのアフリカとのギャプに驚き、そのときにはじめて日本に帰る実感とセネガルのみんなのことを想いました。そのときに書いた文からとりあえずここに載せていきたいとおもいます。 JAN 18. 2週間の旅が終わって、今イタリアの空港で次の飛行機を待っている。この国とのギャップにとまどい、これから日本に帰る安堵の気持ちとアフリカを忘れたくないさみしい気持ちで複雑です。この旅はたくさんのことを教えてくれた。 楽しいことも、苦しいことも。 アフリカはきっとどんな国よりもありのままの自分の姿をみせてくれるもだろう。 裸の自分の弱さ、強さ 身体ひとつ、精神ひとつ 大地を踏みしめて踊る人々 走る子供達、無邪気な笑い声 空にむかって歌う太鼓 波の音は永遠 その空を舞う鳥の声 真っ暗な闇に煌々と光る月 満天に輝く星 優雅に長い年月この地を見守るバオバブの木 過去の悲しみ 今の喜び 未来への希望 短いようで長く、長いようであっというまに過ぎた時間。 おなじ釜の飯を食べることのあたたかさ 家族のようなやさしさ 僕がこの島を離れたいまも 太鼓のリズムは同じように鳴り続けている 毎日、トゥバのコーヒーを飲み、語り、同じように笑いあうだろう 不自由なことはなにもなく 自由に走り回る。 この国にくるきっかけを与えてくれたラティール。いろいろ面倒を見てくれたお兄ちゃんのバス。ご飯を毎日つくってくれたお母さん。友達のようにいてくれたマルコ、バイファル、マス達。大人のように賢く働く少年イヴ(I MISS YOU!) 島一番のコーヒーをいれるボボ。踊りを教えてくれたアワ。そして島のみんな。 また絶対に会えることを願っています。自分の家のように思って、またそこに戻ることを楽しみにしています。それまでまたみんなのことを忘れず自分の道を歩んで頑張ります。 Jamm ac Jamm ずっと平和でありますように。KAZ ![]() ![]()
ついに明日からセネガルに行ってきます。
いつものように一人旅ですが、現地にパーカッショニストのラティールシーがいます。 最近、写真撮ってないんですが、むこうではたくさん写真を撮って、ブログに載せますね。(インターネットできるかな?) どんな旅になるのか、まったく予想できませんが、毎日日記をつけてみようかとおもってます。 ではまた! kaz < 前のページ次のページ >
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