かずぱぱ

21日の今日、父が60歳の還暦の誕生日を迎える!

僕は今、30歳。ということはちょうど父が今の自分の歳に僕が生まれたわけだ。

父は自家焙煎でコーヒー豆を焼いて出す喫茶店を仙台の実家で30年以上もやっています。

子供の時はコーヒーの香りのなかで、豆を焼いてる焙煎室で遊んだり、アイスクリーム食べてたりした記憶があります。
コーヒーに関するこだわりは強く、コーヒー以外にあんまりメニューがない。
ドトールやスターバックスがでてきてからも、まったく姿勢を変える気配もなく、たまに実家の喫茶店に立ち寄ると変わらず焙煎室のなかでコーヒー豆の選別をしている。
お客さんも変わらない、いつも時間が止まっているみたいな、そんな店だ。
きっと来るお客さんもちょっとした話をしたり(父は口べただが)、そういう交流もふくめ楽しんでいて、本来の喫茶店ってこういうもんなんだとおもう。

そういった父親の職人的なこだわりの部分は良くも悪くも自分の生き方に影響している。
曲げられないところは曲げられないんだ。
まあ、タップダンサーになるなんて誰もが思っていなかっただろうけど。

父親の印象というのは息子にとっては難しい。印象が一つということはない。
子供の頃は、あまり喋らないという印象だった。
魚釣りの記憶から、帰り道をおぶって階段を昇っている足音。
人生のいくつもの部分を見せてくれた人だとおもう。

最近実家に帰ったときにいろんな話をした。
そのひとつをここに書こう。



5年ぐらい前のことだろうか、その頃やっと東京で僕が活動をはじめていて、
やっとのことで『BLUE』というとてもかっこいクラブで自分のライブをやることになったときのこと。
たまたま父が東京で同窓会があるというので、母と姉夫婦もそのクラブに僕のTAPを見に来るということになった。
「若者が集まるクラブにこの人達大丈夫なんだろうか」という一抹の不安はあったけれど、こころよくみんなを招待した。

ライブがはじまる10分くらい前のこと。
自分も着替えが終わり、会場のテンションも僕のテンションも最高潮のそのとき、

クラブのマネージャーが僕のところに来て言った。

『かずパパって言ってる人がホールでみんなに話かけてるんだけど、、あれ、ちがうよねえ。。』

『あ、すいません!』

あまりの驚きに気が動転して、地下のダンスホールに走ると、
真っ暗闇にミラーボールが光るホールの中、重いビートの中を、全くこの場に似つかわしくない泥酔した父親が、踊っているひとりひとりの若者にむかって
『かずぱぱでーす。」といって歩き回っていたのだ。

あまりの恥ずかしさと動揺を隠しきれずに父親を引っ張って外のほうに上がって行くと、そのときちょうど会場に着いていた母親にばったり。母親も青ざめて動揺しはじめていた。

どうにかこうにか、同窓会の席からこの西麻布のクラブに辿りついた僕の父は緊張して飲み過ぎたのか、、着いた瞬間にがくーーんときたらしいのだ。
そしてあえなく母親と姉夫婦によって、息子のTAPを見ずしてホテルへと連れて帰られたのでした。。。それから僕は自分の頬を叩き、気をとりなおしてお客さんの前に出て行ったのは言うまでもありません。

この話をしたら、「そういう逸話はあったほうがいいぞ」と父は言っていたけど、
母は「いっぱいありすぎだ!」と言っていました。



まあとにかく、こんなことを誕生日に書いてしまいましたが、

60年間の人生に、ハードな仕事で家族を支えてくれていたことに感謝しています。

父親というものにいつか自分もなって、同じような苦労をするのか、

いつか人を支えて行く一人前の人間になれるだろうか。。。


d0002450_4473549.jpg
父30歳、僕0歳のとき




これからもずっとこだわりのある、素敵な人生をおくってください。

ありがとう。

son, 和徳
[PR]
by kazthehoofer77 | 2007-06-21 04:53
<< 僕たちはつねに一緒だった STREET FEST in NY >>